1 変な事実認定がなされるのはなぜなのか

 法律適用の前提となる事実を認定することを事実認定というのですが、たまに変な事実認定をくらうことがあるので、本当に民事裁判は証拠に基づいているのかということについて調べてみました。

2 民事訴訟法ではどうなっているのか?

 刑事訴訟法では、317条で「事実の認定は、証拠による。」とバッチリ明記されているのですが、民事訴訟法では、「裁判所は、判決をするに当たり、口頭弁論の全趣旨及び証拠調べの結果をしん酌して、自由な心証により、事実についての主張を真実と認めるべきか否かを判断する」(247条)とされています。

3 裁判官の事実認定はストーリーによる?

 ただ、自由心証主義といっても、何でも好きなように判決を書いていいわけではない(恣意的な認定は許されない)とされているようなので、次に、書籍上、事実認定の手法についてどう書かれているかについて調べてみました。

 平成25年9月版「事例で考える民事事実認定」(司法研修所)によると、「ストーリー」とは、当事者双方からされる、要証事実をめぐる一定の物語性を持った主張や供述等をいい、「主要な争点の検討も、この「ストーリー」を念頭に置いて行わなければならないし、この「ストーリー」をなるべく具体的に把握して、要証事実の存在を認定していくのが、実務的に行われている一つのオーソドックスな手法」とされています。
 また、同書では、「時系列表に並んだ動かしがたい事実を、経験則を踏まえて、虚心坦懐に検討することによって、事件の流れが浮かび上がり、これと当事者のストーリーを対比することでその真実性を判断できることが少なくない」「実際に事実認定を行うにあたっては、当事者双方の「ストーリー」を把握した上、どちらの「ストーリー」の信用性が高いかを検討することになる。多くの場合、「ストーリー」それ自体から信用性を判断することは困難なため、その「ストーリー」が「動かしがたい事実」と整合するか否かを検討するのが最も確実な方法である」との記載もあります。

4 仮説思考の弊害?

 このような記載からすれば、現在、裁判所の事実認定は、いわゆる仮説思考により行われているといえます。仮説思考を用いることにより、事実が少なくても結論を出すことができますし、より効率的に結論を出すことができます。

 ただ、このストーリーによる認定が硬直化しているのか、たまに、「原告の主張する事実が認められなければ、被告の主張する事実を認定する」というような判決をされる裁判官の方もいらっしゃいます。こうなると、控訴するしかなくなるのですが、こういった択一的認定がなされてしまう原因は、仮説思考の弊害なのかもしれません。

 ストーリーによって認定するので、どちらのストーリーがより証拠に基づいているのかを検討する→当事者が主張する仮説以外のことは検討しない→証拠不十分でも択一的認定をしてしまう、という感じでしょうか。本来であれば、こういった手法は、よりよい事実認定をするための道具であって、絶対的な条件ではないのですから、当事者の主張に関わらない第三のストーリーというものが認定されてもいいと思うのですけどね・・・

 判決をもらうか和解をするかで悩んでいる方には、こういったリスクがあるということを踏まえた上でご検討いただきたいところです。