ノルウェーの犯罪学者であるニルス・クリスティは、「法における教育は、簡素化へのそれである。ある状況において、すべての価値判断を行い処理することは不可能であり、法律に適合する行動のみを選択する代わりに、その社会で適合とされる諸行動の中から崇高な聖職者によって決められるのである。新古典主義は、すべての訴訟手続排除の拡大へ、まさに理にかなうものである。それゆえ全体のうちいくつかの要因は、完全なる平等が保障されていると思われる。が、それは簡素化を通じて初期の制度として存在する。」と述べています(Nils Christie著 立山竜彦訳『刑罰の限界』59頁)。
 ちょっと訳が固い感じがするので、原文も参照してみると、原著であるNils Christie著『Limits To Pain』のchapter7には、次のような記述があります。
「Training in law is training in simplification. It is a trained incapacity to look at all values in a situation, and instead to select only the legally relevant ones, that is, those defined by the high priests within the system to be the relevant ones. Neo-classicism is just a logical extension of that whole process of elimination. So few elements of the totality are considered that complete equality is guaranteed. But it is, through its simplifications, a primitive system.」
 この原文も参照すると、ここでクリスティが述べたかったのは、「法の訓練とは、単純化の訓練である。(法律家は、)ある状況におけるすべての価値に目を向けることをできなくし、法律的に意味があるとされたものだけを見るような訓練を受けている。新古典主義は、このような消去法の延長にすぎない。完全な平等が保証されるよう、ここで考慮される要素は全体のうち、わずかなもののみである。しかし、これは、単純化しているだけの、原始的なシステムである。」というもので、法律的に意味があるとされたもの以外の価値をすべて無視するという法律家の思考(リーガルマインド)の問題点を指摘しているものと思われます。

 法的判断にあたっては、抽象的なルールである法律に具体的な事実をあてはめて結論を求めるのですが、法律にあてはめられるのは、混沌とした現実ではなく、単純化された事実です。現代の裁判では、複雑怪奇な現実の中から、法的に意味がある事情、あるいは意味がありそうな事情だけが取り出され、その他の事情はすべて捨象され、単純化されます。この単純化作業によって、社会的地位の高さであるとか、資産の多寡といった、なんとなく結論(判断)に影響しそうな事情は無視され、その結果、法の下の平等が実現されると考えられています(少なくとも建前上は)。
 そのため、裁判官をはじめとする法律家になるためには、ある状況から法律的に意味のあるものだけに注目し、それ以外を無視することができるようになる訓練を受ける必要があります※1。こういう訓練をしているからこそ、複雑な事実の中から法的に意味のあるものをすばやく抽出して判断することができるのですが、逆に言えば、法律家は、法律的に意味がある(意味がありそうな)事実以外については、無視したり、まるでなにも価値がないかのように考えてしまいがちです※2。

 しかし、当然ながら、法的に意味があるとされていないものが重要な分野というものも存在します。たとえば、弁護士だからといって将棋の見立てを聞く人はいないでしょうが、将棋では、こういったリーガルマインドが役に立つことはまずありません※3。このような世界で、法律家がさも専門家のように話すと、まるで見当違いの回答になってしまうでしょう。
 このたとえはまったく別分野のことなのでわかりやすいですが、なんとなく常識的に分かりそうなところだと口を出したくなるかもしれません。が、法的根拠が示せない法律以外のことについては、訓練の結果その価値がわからなくなっていると思って、口をつぐみましょう。
 古来から言われているように、「沈黙は金」「言わぬが花」なのです。

※1 問題文が一行しかなかったこともあった旧司法試験とは異なり、超長文の問題文が与えられる新司法試験は、修習が短くなったから、法律的に意味のある事情だけをすばやくピックアップする訓練までは自分でやってきてねというメッセージのように思います。
※2 法律相談を聞いていて、「この人、無駄なことばっかり話しているな」と思うようになったら、だいぶ訓練がきいています。それは、法律的に意味のあることと無意味なことを区別できるようになったということです。ただし、法律的に無意味だからといって、無駄であるとは限りません。
※3 あるとすれば、以前記事にした棋譜に著作権が発生するかという点くらいでしょうか。