インターネット上を徘徊していると(※1)、「なぜフェンスがあるのかわからないのであれば、それを取り外してはならない。」という警句をたまに見つけます。出典については出くわす場所によって異なりますが、調べてみたところ、その出所は以下の書籍のようです。

G・K・チェスタトン著『The Thing』(1929 未邦訳)の35頁には、以下のような記述があります。
 「 In the matter of reforming things, as distinct from deforming them, there is one plain and simple principle; a principle whitch will probably be called a paradox. There exists in such a case a certain institution or law; let us say,for the sake of simplicity ,a fence or gate erected across a road.The more modern type of reformer goes gaily up to it and says, “I don’t see the use of this; let us clear it away.” To which the more intelligent type of reformer will do well to answer : “If you don’t see the use of it,I certainly won’t let you clear it away. Go away and think. Then, when you see the use of it,I may allow you to destroy it.” 
 This paradox rests on the most elementary common sense. The gate or fence did not grow there. It was not set up by somnambulists who built it in their sleep. It is highly improbable that it was put there by escaped lunatics who were for some reason loose in the street. Some person had some reason for thinking it would be a good thing for somebody. And until we know what the reason was, we really cannot judge whether the reason was reasonable. It is extremely probable that we have overlooked some whole aspect of the question, if something set up by human beings like ourselves seems to be entirely meaningless and mysterious. 」

 【意訳】物事を悪い方向に変更する(歪める)場合とは異なり、物事を改革(良い方向に変更)する場合には、おそらくパラドックスのひとつである単純で明快な原則がある。ある制度や法律、ここでは、わかりやすくするために、道を遮るフェンスや門があるとしよう。そこに、進歩的な改革者たちが華やかにやってきて、「このフェンスの存在意義がわかりません。撤去しましょう。」という。これに対して、知的な改革者であれば、こう答えるだろう。「その存在意義がわからないのであれば、撤去を認めるわけにはいきません。1度戻って考えてください。存在意義がわかれば、撤去することを認めるかもしれません。」
 このパラドックスは、もっとも基本的な常識(コモンセンス)に基づいている。門やフェンスは、勝手に生えてきたり、だれかが寝ている間に作ったり、意味なく設置されるものではない。設置されているのは、だれかが、「誰かのためになる」と考えた理由があったからである。そして、その理由がどういうものであったかを知るまでは、我々は、その理由が合理的であったかどうかを判断することができない。人間が設置した物事がまったく無意味で不可解なように思えるとすれば、我々の方が問題の全体像を見誤っている可能性が極めて高い。

 チェスタトンが指摘しているとおり、昔の人も合理的に動いていたはずですから、ある制度や法律(あるいは仕組みや運用等)が作られているのであれば、その背景には、(少なくとも)その当時の、ある程度合理的な判断があったはずです。過去の判断は、当時の人たちがくだしたベストな判断のはずです。事後的・客観的にみればおかしな点や不都合な点があるように見えるかもしれませんが、そのことを忘れてはいけません。あなたが理解できないからといって、それが不合理であったり無意味であるとは限らないのです。
 ものごとの改革を!といえば聞こえはいいですが、なにかを変えようとするときには、その判断の背景にあった理由※2や、それがどう変わったのかなどについて慎重に検討しなければ、思わぬしっぺ返しがあるかもしれません。とりあえずフェンスをとっぱらったら、イノシシの群れが畑に押し寄せたなんてことになったら洒落になりませんよね※3。
 全体像を理解できるまえに物事を批判したり、ましてやいじくりまわすのはやめておきましょう※4。

※1 以前は「ネットサーフィン」とか言ってましたけど、もう死語なのでしょうか。
※2 当時の判断の基礎となった事情などがわかるのであれば、これを参照するべきでしょう。往々にしてよくわからないのですが。
※3 イノシシは畑などをメチャメチャに荒らします。
※4 制度や法律の改革を検討する際には心に留めておきたい警句ですが、こういう警句が発せられるくらいには、よくわからないけどフェンスが取り外されて被害が発生した歴史があるのでしょうね・・・